レジェンド達がつなぐ「変わらぬ想い」

特別対談Ⅰ

レジェンド対談 レジェンド達がつなぐ「変わらぬ想い」

炎天下では土埃が舞い、雨が降れば泥だらけになる。「保土ケ谷」がまだ土の運動場だったころ。

とてつもなくアツい情熱と、とんでもなく大きなエネルギーで、橫ラグを、立ち上げ育ててくれた人達がいた。

この50年を、見守り支えて続けてくれた人達がいた。

……彼らを「レジェンド」と呼ぼう。

時は過ぎ、土ではなくなった人工芝のグラウンドに立ったとき、レジェンド達は何を思い、何を語るのか。

※ 司会:副校長・神谷哲史

ラグビーは単なるスポーツではなくて、人として成長させてくれるものだと改めて感じました。

神谷:創立50周年を迎えるにあたり、創立からこれまでのエピソードを伺いたく、創成期のメンバーの方々、歴代の校長や副校長の方々にお集まりいただきました。創立にこぎつけるまでさまざまなご苦労があったようですが…。

渡辺:1955年に国体(編集部註:第10回国民体育大会)が神奈川県で開催され、そのときにラグビーの試合もあったのですが、当時のラグビーの試合はすべて三ツ沢(編集部註:現在のニッパツ三ツ沢球技場)でおこなわれていたんですね。でも、1964年の東京オリンピックのときに、三ツ沢がサッカー会場に使われてしまったんです(編集部註:当時は日本におけるサッカー専用スタジアムのはしりといわれ、「三ツ沢蹴球場」と呼ばれた)。ラグビーよりもサッカーのほうが盛んでしたからね(苦笑)。その当時、東京・秩父宮ラグビー場には「東京ラグビースクール」があったので、三橋さん(編集部註:創立メンバーで、1980年代前半に校長と運営委員長も兼務していた故・三橋洋二氏。「三橋杯」は三橋氏の功績を称えて命名された)と芦沢さん(編集部註:創立メンバーで、初代運営委員長の故・芦沢作男氏)と私は、「神奈川県にもラグビースクールをつくりたいね」って話し合って神奈川県に掛け合ったんです。

神谷:当時は自衛隊の運動場だった保土ケ谷にラグビー専用の競技場をつくろうと神奈川県に働きかけたと?

渡辺:そうです。当時の県知事(編集部註:津田文吾知事)から「ラグビー専用のグラウンドをつくるのだからホームグラウンドとして使用するチームがないのはおかしい」と進言があって、芦沢さんが即座に「ラグビースクールをつくります!」と申し出たんです。

神谷:それで、保土ケ谷ラグビー場をホームグラウンドとするチームとして「神奈川県ラグビースクール」が1970年に誕生したわけですね。

渡辺:青木さんという大津小学校(横須賀市)の先生と三ツ沢小学校の瀬尾さんが小学生を連れてきて。

瀬尾:そうですね、私は三ツ沢小学校の教師でした。まだ若くてバリバリのころです。その当時は野球やサッカーが人気でラグビーはマイナーなスポーツでしたから、どうしても子ども達を集めてラグビースクールをやりたかったんです。そこで、自分のクラスの子ども達を連れて、ここ(保土ケ谷)に来たのが始まりだったと記憶しています。

瀬尾:話は逸れますが、そのときの子ども達…といっても今では全員が還暦を迎えていますが、彼らが去年のW杯・日本対スコットランド戦に招待してくれたんです。とても嬉しかったですねぇ…。

一同:おぉ~

瀬尾:50年前は小学生だったのに、いまでは私に解説してくれるくらいラグビーに詳しくて…。本人達にしてみたら、最初は無理やり保土ケ谷に連れていかれて、半強制的にラグビーをやらされたのかもしれない。でも、それがきっかけで自らラグビーに関心を持って、今では「ラグビーっていいスポーツだなぁ」と思ってくれている。ラグビーは単なるスポーツとしてだけではなくて、人として彼らを成長させてくれたんだなぁと改めて感じました。彼らがラグビーに出逢ったことで、きっと人生の大変なことも乗り越えてこられたんだろうということを感じたんです。

朝、グラウンドに来ると、みんなで横一列に並んで、石コロ拾いから始めるんですよ。

神谷:1回目の練習は記憶に残っていますか?
渡辺:練習というよりは遊びだったですね。ボールをコロコロ転がして。「広い遊び場ができたぁ!」って雰囲気(笑)。1年以上経ってから、ようやくラグビーっぽくなってきたかなぁ。グラウンドも土で雑草が生えていましたよ。
神谷:当時の資料を見 ると、1回目の練習から参加した三ツ沢小学校6年生の中に、サントリーの新浪さん(編集部註:サントリーホールディングス株式会社代表取締役社長・新浪剛史氏)とタカナシ乳業の高梨さん(編集部註:高梨乳業株式会社代表取締役社長・髙梨信芳氏)のお名前があります。覚えていらっしゃいますか?
瀬尾:ええ。二人とも覚えています。僕が最初に担任をしたクラスだったので。新浪さんとは今でも付き合いがありますよ。
神谷:私が、小学生のときに指導していた齋藤直人君が、50年前の最初の練習に参加していた新浪さんのサントリーに、50年目の今年入社しました。半世紀も経つと、そのような運命的なつながりもあるのかと思うと感慨深いですね…。
山口:さきほどグラウンドの話が出ましたが、雑草だけでなく石コロもたくさん落ちていましてね。朝、グラウンドに来ると、みんなで横一列に並んで石コロ拾いから始めるんですよ。しかも、三橋さんが潮干狩りに使う熊手のでかいやつ(グラウンドレーキ)を作ってきて、それでガーっと掘り返しちゃうものだから、余計に石コロが出ちゃって(笑)。
山口:冬なんてグラウンドが凍っているわけですよ! 10時ぐらいになると、ようやく解けてくるんですが、こんどはドロドロになっちゃって(苦笑)。
波多野:一度、ここ(保土ケ谷)で国体をやるってことで、芝生にしたことがあるんですよ(編集部註:1998年のかながわ・ゆめ国体)。でも、天然芝だと使える日にちに制限があったから、国体が終わったら土に戻して。
小笠原:しかし、いろいろなグラウンドでやったよね。よく子ども達も集まったよね。
波多野:グラウンドもあちこち探してね。
小笠原:改修工事のたびに、いろいろなグラウンド行って…。
山口:今は人工芝だから中止になることはないでしょう?
小笠原:当時はグラウンドに来てから、練習をやるかやらないか決めたから、雨の日は怖かったですね。

足の速い子も遅い子も、運動が得意な子も不得意な子も。彼ら全員が楽しめるのがラグビー。

神谷:最初のころはさまざまなご苦労があったようですね…。そのころ、指導員として目標にしていたことはありますか?
波多野:「ラグビーが楽しいから子ども達に教えてあげたい」というシンプルな気持ちだけだったと思います。
川野:波多野さんがおっしゃる通りだと思いますが、当初は「ラグビーを通じて青少年の育成に役立たせる」というコンセプトで神奈川県に認可してもらったと聞いています。
瀬尾:最初のころのみんなの願いは、「人を育てていくんだ」ということでした。塾も行かない、遊び場もない、そういう子ども達を集めてラグビースクールを作りましょう、と。一貫して「人を育てる」「礼儀や規律を重んじる」とか、そういうことはずっと変わらないと思います。そのなかで、時代の流れのなかで、いろいろな子ども達の個性も見えてきました。足の速い子もいれば遅い子もいる。運動が得意な子もいれば不得意な子もいる。彼ら全員が楽しめるのがラグビーというスポーツなんだと。
神谷:亡くなられた三橋先生の設立趣旨のなかにも「美しい子どもを育てる」と書かれていました。
瀬尾:ラグビーのすばらしさはそれです。ラグビーは、人それぞれの力と頭脳を使うことが大切なスポーツです。「一人ひとりをサポートして活かしていく」という想いは変わらずやってきましたね。
渡辺:合宿も、小学4年生から中学生までが一緒に行っていたんですよ。中学生がリーダーになって縦割りで、部屋で班ごとに分かれていました。中学生が小学生の面倒を見たり、納会では班ごとに演芸をやったり。そうすることでコミュニケーションが図れたし、コミュニケーション能力もついたと思います。

迷ったときは、原点に戻ってワンチームに。

神谷:最後に、横浜ラグビースクールに期待していることは何でしょうか?
渡辺:ラグビーは今後ますます注目されると思いますが、生徒が増えても、今までどおりの考えを貫いてほしいですね。
瀬尾:創立の原点である「人を育てる」「人を大事にする」というメッセージを、ラグビーを通じて発信し続けてほしいです。迷ったときは原点に戻ってワンチームでやってもらいたいです。
川野:「子どもへの接し方・考え方・行動の仕方」を指導員がミーティングでも話し合ってほしいです。子ども達は、幼稚園から中学生まで、それぞれの年代で受け止め方が違うので、そのバランスを意識してほしいと思います。横浜ラグビースクールはラグビーだけじゃなく、人間性を育てている教育機関の一端だと考えてほしいのです。
小笠原:どのような子どもでも、指導員はあきらめずに指導し続けてあげてください。ずっと教えていた生徒が、今、鹿児島にいて立派な人になりましたが、昔は大変な子だったんです。でも、あきらめずに、いい指導をしてあげれば、必ず成長します。その子が立派な人になれば誇りになるはず。がんばってください。
山口:過去に比べたら、グラウンドもコンディションも非常に恵まれています。そういうことを子ども達に話してあげることも大切だと思います。生徒が増え続けていますが、想いを持って子ども達にいろいろなことを伝えてあげてほしいです。
波多野:W杯の日本対スコットランド戦で、両チームの選手たちが「すばらしい試合に巡り合えた」とお互いに称え合いながら感動に満ち溢れていました。私たちが見て、感動するはずです。
ラグビーを通じて感動を体験することは本当に大切で、それがラグビーのコンセプトだと思っています。練習して強くなることが理想ですが、ただ強くなるのではなく、感動を知り人格の形成をしてほしい。それが私たちの願いです。

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波多野 義重

1973年、指導員に。2004年に校長に就任。現役時代のポジションはフッカー。好きな言葉は「感動体験」。

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渡辺 隆司

1970年、指導員に。1974年に運営委員長に就任。現役時代のポジションはセンター。好きな言葉は「友垣」。

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川野 正久

1983年、指導員に。1994年に副校長に就任。現役時代のポジションはロック。好きな言葉は「楽苦備」。

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小笠原 信篤

1981年、指導員に。2002年に副校長に就任。現役時代のポジションはセンター。好きな言葉は「一期一会」。

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山口 重之

1973年、指導員に。2002年に校長に就任。現役時代のポジションはセンター。好きな言葉は「友」。

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瀬尾 清寿

1970年、指導員に。1974年に運営委員長に就任。ポジションはプロップ(現役選手)。好きな言葉は「皆違って皆いい」